2012年4月14日土曜日

エッセイ


エッセイ イルカに吸盤でハイドロホンを取り付けよ−ハイテクはローテクな技が支える−

これは、海洋音響学会誌 31(2), 99-110に掲載されたものを、一部改変しました。

 

出会

 後に、頼もしい共同研究者で、信頼できる友人となる、中国科学院水生生物研究所の王丁(Wang Ding*)と私は、オランダの田舎町のバーでビールを飲んでいた。1994年の春に開催された、海産哺乳動物の感覚能力に関するシンポジウムでのことだ。いつものノリで音楽にあわせて踊っている欧米の研究者を横目に、同じアジア人同士、満員のバーの片隅でいまいちノリきれない気持ちを共有しながら、「お互いに近いことだし、これから一緒に仕事をしたいね」とぼそぼそと話していた。

 2年後の1996年冬。上海から揚子江を約千km上ったところにある半自然保護区に、私はいた。現場は、揚子江の本流から切断されて、まだ30年も経っていない、馬蹄形の三日月湖である(図1)。このとき私の興味をひいたのは、試験的にこの半自然保護区に導入されていたスナメリという小型のイルカであった。ここのスナメリは、人間に餌を与えられることなく、自然に繁殖しているという。小魚からイルカまでの食物連鎖のピラミッドが、こんな小さな湖で成り立っていることに驚きを覚えるとともに、この場所は実験フィールドとしてすばらしい可能性を秘めていると感じた。

 そのころ、私は国立極地研究所に国内留学をして、生物装着型記録器を用いた研究について学んでいた。アザラシやペンギンにつけて潜水行動をつぶさに記録することができる、センサ付きマイクロコンピュータである。データロガーと呼ばれるこの装置は、当時のパソコン関連技術の爆発的な普及によって、個人研究者にもかろうじて手が届くものになっていた。極地研究所のグループは、その武器を手に、その後華々しい成果をつぎつぎに挙げていくことになる。データロガーに音響センサを仕込んでイルカにとりつけ、ソナーによる探索行動を見てみたい、と私が思ったのは、自然な流れであった。

 

*姓がWangである。中国では同姓が多いせいか、姓名をいっしょに「ワンディン」などと呼ぶことが多い。以後も姓名の順でWang Dingと記載する。

 

成功

 「まだ、外れない」。半自然保護区に放流して24時間たっても、いくつかのデータロガーがスナメリの体についていた。1998年の暮れのことである。ついに、音響データロガーを完成させ、実験にこぎつけた。

 データロガーの実験を行うためには2つの関門を突破しなければならない。すなわち装着と回収である。毛が生えていて、決まった場所に戻ってくるアザラシやペンギンと違って、つるんとして広い海を自由に泳ぐイルカは、物をつけるにしても回収するにしても難しい。そこで、すぐに思い出したのは、中国で見てきた半自然保護区だ。長さ21kmであれば、外れたときに浮くようにしておけば、回収は容易だ。小さなVHFの電波発信器を抱き合わせておけば、すぐに発見できるだろう。太平洋で回収することを思えば、中国のフィールドの優位性は明らかだ。装着も、大型の鯨類では吸盤がある程度有効であることが示されていたが、スナメリのふにゃふにゃとした皮膚にこんなに長くついているとは予想していなかった。データロガーの実験の2つの関門は突破できたと思った。

 この年に回収したデータロガーには、39時間もの遊泳速度と深度の記録が入っていた。スナメリだけでなく、小型鯨類いわゆるイルカにおける、遊泳速度の最長記録であった。残念だったのは、音響データロガーがメモリ容量の限界で記録時間が短かったことである。しかし、イルカのソナー行動の野外観察は、はじめてのタイプのデータであった。結果は、その後3年のうちに、米音響学会誌とICES Jounanal of Marine Scienceに掲載されることとなった。データロガーを使うのも、電波発信器での回収作業も、いまではpou up型と呼ばれる浮力体による浮上システムも、まったく未経験であったにもかかわらず、この年の実験の首尾は上々であった。

 反省点は、2つのデータロガーを失ったことである。合計6つ放流し、4つ回収したのだから悪くはないが、この限られた面積の水域で、なんの手がかりもなく、行動用と音響用のロガーを1つずつ失った。電波発信を捉えられなかったのだ。手作りで発泡スチロールを削ってつくった浮力体が、最大水深20mの湖底で収縮したか、少しずつ吸水したのであろうと考えている。

 成功裏に終わったこの実験で得た感触は「吸盤での装着は、簡単だ。むしろ、確実に浮上させ回収することができれば、こんどはもっとうまくいく」というものだった。より長時間記録のできる音響データロガーをつくって、またここを訪れたいと強く望みつつ、中国の半自然保護区をあとにした。

挑戦

 新しい学問分野に手が届く、新しい水中音響探索手法をイルカから学ぶことが出来る、との思いはますます強くなった。しかし、予算は当たらなかった。ありとあらゆる機会をみつけて、申請書を書きまくり、連戦連敗した。石の上に4年間座って、ようやく生物系特定産業技術研究推進機構(当時)からの援助を得ることができた。あとで公表された応募数から見積もると、当選率は5%以下であった。

 これで誰はばかることなく、仕事としてイルカのソナーを研究することが出来る。アイデアを実現できるのだ。必ず結果を出してやる!

 予算交付の正式通知をもらうまえから、新しい音響データロガーの設計にかかっていた。こんどは、高速サンプリングでも、24時間以上の記録を行いたい。もっと小さく、堅牢にしたい。そこで、大型動物用のデータロガーの専門メーカーであるリトルレオナルド社に依頼して、仕様を固めていた。

 水産工学研究所の流体力学実験の専門家である松田秋彦にも、データロガーを浮かせる浮力体について相談した。こんどは湖に沈ませたくなかったし、流体抵抗力は成功したものよりさらに抑えたかった。松田は、いろいろなアドバイスをしてくれた。流体模型製作の実績のあるメーカーを紹介し、巨大な水槽でほんの手のひら大ほどの浮力体の曳航試験を何度も行った。持つべきものは友である。普通に積算したら百万円は軽く超えたであろう流体試験を、いくつかの飲み会そのほかの貸し借りでチャラにし、最終的に1998年にうまくいったモデルより、空中重量で30%小さく、流体抵抗が約半分となる新しい浮力体が設計できた。しかも、メーカーの配慮で、表面はFRPでコーティングされ、金槌で叩いてもこわれないほどの強度になった。吸水や収縮の心配は、まずない。

 さらに、だめ押しで、生体接着ボンドも用意した。手術の縫合の補助剤に用いられるもので、瞬間接着剤に成分が似ている。自分もイルカの気持ちになってみなければいけないと思い、イルカよりずっとたるんでいる自分のおなかに、この接着剤を用いて吸盤を装着してみたところ、3時間経ってもびくともしなかった(図2)。無理にはがすと皮までとられそうなくらいで、端から少しずつめくっていった。傷口にしっかりはりついた絆創膏をはがす思いだった。

 これならいける。と確信した。

悪寒


あなたの縫工筋を伸ばすには?

 今年は、絶対に失敗したくない。武漢へは普通、成田から上海経由で行くのが便利なのだが、このときは羽田から福岡経由で武漢直行便に乗った。前日ぎりぎりまで確認に確認を重ねた準備が尾をひいたのか、深まり始めた秋の気温の変化に体がついてこなかったのか、羽田空港でどうしようもない寒気に襲われた。どこかで横になりたかった。これまで気にも留めなかった航空会社のラウンジの入り口で、そこがゴールドカード会員のみ無料であることをはじめて知り、私は有料で中に入った。あいにくベッドはなく、空いたソファーに出発の直前まで沈んでいた。乗り継ぎの福岡空港では、さらに悪寒がひどくなった。体中がだるく、立っていられない。武漢行きのチエックインまでは、まだだいぶ時間がある� ��重いスーツケースをひきずって、ひとけのないベンチを探し、横になった。

わざわざ、福岡から出国したのにはわけがある。スーツケースの中には、黒色の耐圧容器に入った手榴弾かと思わせる外観のデータロガーに、電波テレメトリ用の発信器と受信器、流体形状をした浮力体や電線や工具がぎっしり詰まっている。なんらかの秘密工作を行うのではと思わせるに十分な怪しさだ。成田から上海に入国し、もしこのスーツケースが通関で開けられたら、どうやって説明できるだろうか。その場で「動かしてみろ」と言われたら、「イルカがいないとできません」という釈明は通用しないだろう。その点、福岡なら自分が日本語で説明できるし、なんとなれば職場に連絡を取ってもらえばよい。武漢なら、Wang Dingが待っていてくれる。彼も、今や水生生物研究所の副所長だ。武漢空港の通関の官吏も納得してくれるだろう。一応念のため、Wang Dingから発行してもらった所持品リストと、赤松友成は怪しいものではないという手紙、および昨年の実験で長江日報という現地の新聞に掲載された、顔写真入り記事もスーツケースの中に忍ばせたが、幸いにして、いずれも使う必要がなかった。

武漢空港では、赤外線センサによる体温計測が待っていた。もちろんSARSの影響だ。今年は感染を拡大させないという中国当局の強い意気込みを感じつつ、列にならび、前のひとの計測の様子をしばらく観察していた。悪寒はますますひどくなり、近くにあったトイレに駆け込んだ。用を足すかわりに、洗面台で顔に水をふりかけた。赤外線センサが顔面からの放射を計測していたからだ。私の体温は、たしか37度6分と告げられたと記憶している。多少風邪をひいてもめったに37度を超えたことがない私にとって、これは高熱の部類だ。顔にふりかけた水のまじないが、どれほど効いたものか疑わしいが、幸いにして、見とがめられることなく入国できた。

誤算

 武漢の中国科学院水生生物研究所には、現在3頭のスナメリが飼育されている。到着翌々日の2003年10月9日、製作した浮力体とデータロガーを、本番と同じように組み立て、最終的な装着試験と動作確認を行うことにした。熱は下がっていた。現場に出ると、風邪は吹き飛ぶものだ。

プールの水を抜き、スナメリの胸びれの上あたりをペーパーでふき取り、水気を除く。吸盤面はアルコールで洗浄消毒し、その縁には内部への漏水防止のためワセリンを薄く塗る。成功した5年前と同一の手順である。

 データロガーは、イルカの左右に一セットずつ、合計2セットとりつけた。間違って一方が外れても、まったく同一のシステムをもつ反対側がデータをとり続けるのだ。とにかく失敗したくなかった。2倍のお金をかけても、確実にデータを取りたかった。十分な流体抵抗実験もした、5年前のものより装着性能は確実にアップしているはずだ。今日は、飼育下での実験である。焦る必要はない。一頭一頭確実に装着したのを確認して、浅くなったプールに放流した。注水が始まったので、皆プールの底から上がり、装着されたイルカとデータロガーの様子を見ていた。

 すると、信じられないことが起こった。ひとつまたひとつと浮力体が外れていくではないか。まだ1時間も経っていない。鮮やかな黄色に塗られた新製作の浮力体は、水もたまりきっていないプールの水面に、ぷかぷかとあざ笑うように浮いていた。結局3時間程度で、全てが外れた。

 この時点では、不思議に思いながらも、まだ希望をもっていた。俺のおなかについていた、あの接着剤を使えばいい。物理的にくっつければ、1日くらいはついているのではないか。むしろ、もっと長くついていたらどうしようかと心配していた。

 10月10日、再びプールの水を落とし、今度は3つの浮力体の吸盤に接着剤をつけ、残りの3つにはワセリン以外なにもつけなかった。スナメリが頭をふったり呼吸したりするときに皮膚が動く様子も、装着の前にじっくり観察した。昨日の装着位置より少し後ろの下側が、皮膚の動きが少ないことに気が付いた。「昨日は、きっと装着位置が悪かったに違いない。もう少し後ろにすればよかったんだ」と思った。いや思い込もうとした。

 ゆっくり確実に装着し、放流した。すぐに注水が始まった。プールサイドに上がり、イルカを見つめた。1時間経過した。今度は大丈夫かと思った矢先に、データロガーが外れた。接着剤をつけたものだった。つづけてもう一つ、これも接着剤つきであった。回収し、吸盤面を見ると、皮膚がくっついていた(図3)。スナメリの皮膚は思いの外やわらかかった。接着剤は、その皮膚をしっかりととらえていたが、皮膚毎はがれてしまっては、なんの役にも立たない。あまつさえ、固化した接着剤で吸盤面がざらつくためか、水が吸盤のなかに侵入し、接着剤無しのものより早くはがれてしまった。頼みの綱であった生体用接着剤が役に立たないことが、この日の実験でわかった。

 準備に準備を重ねた一年間の努力が無駄になりつつあると感じた。目の前が暗くなる思いだった。1998年、39時間もの長時間装着に成功したのは、神様がくれたプレゼントだったのか。どうしても、5年前の自分が越えられない。その晩、日本で待つ妻に電話をした。「装置がすぐにはがれてしまう。原因がわからない。なんだか勝ち目のないたたかいを強いられています」。半自然保護区での本実験6日前であった。

物理

 吸盤はなぜものに吸い付くのだろう。よく考えると不思議な装置だ。吸盤は、吸い付く面からはがれようとする力をかけ続けている。手近な吸盤の縁を反り返して、冷蔵庫などにつけてみよう。明らかに、吸盤の縁が冷蔵庫を押していることがわかる。では、吸盤はなぜ冷蔵庫にとどまっているのか。それは、大気圧で押されているからだ。吸盤の縁が冷蔵庫を押すことで、吸盤と冷蔵庫の隙間には低い圧力が生じる、これと吸盤の外側の大気圧との差が、冷蔵庫に押しつけようとする力になるのだ。つまり、吸盤の縁が力強く冷蔵庫からはがれようとすればするほど、逆に大気圧との差が大きくなって、はがれにくくなる。

 では、吸盤がはがれるとはどういうことだろうか。吸盤と冷蔵庫の間に空気が侵入して、少しずつ内部の負圧がなくなり、ついに大気圧と平衡となると、ぽろりとはがれるのだ。吸盤装着とは、貯金の食いつぶしである。内部の負圧という貯金を大事に大事に維持すれば、いくらでももつが、ほんの数十cc程度の吸盤内容積に、空気や水の侵入を許し、負圧の貯金を食いつぶせば、あっというまにはがれる。

 従って、長時間装着のためには、強いコシのある吸盤を選ぶことと、縁のシールがよく効き、内部への水の侵入を防ぐことに尽きる。使用した吸盤は、中心部がとても厚くコシがある割に、辺縁部が薄く対象の動きにあわせて動く。すでに鯨類装着で実績があるものを選択したのだが、あらためて納得する。多少の皮膚のでこぼこを吸収し、シールを確実にするために、ワセリンも塗った。

 私は、どこを間違ったのだろうか。直接の原因は、吸盤内部に水が早く侵入したということだ。その原因は、皮膚のでこぼこや装着位置による体の曲がりなどの装着面に由来するものと、抵抗力や慣性力、浮力による回転力、水槽壁との接触などによる外力の2つが考えられる。前者が主な原因だとすると、対処はとても難しい。皮膚の微妙な凹凸やしわの一つ一つが、装着時間に大きく効いてくるとしたら、装着前に皮膚の顕微鏡観察でもしなければ無理だ。しかし、装着のときは、呼吸直後で肺に空気がいっぱいになり皮膚が張っているときを狙って付ける。体が曲がりやすい部分も外して付けたつもりだ。では、外力か。水槽壁にぶつかった様子はない。データロガーにはキズ一つ付いていない。抵抗力だっ� ��、事前に測っている。原因はわからなかった。


 Wang Dingは「大きすぎるのではないか、データロガーを1本だけとして、もっと小さくした方がいい」と述べた。せっかくつくった黄色いなめらかな仕上がりの浮力体への未練が私にはまだあった。しかし、このままでは失敗することも明らかだった。その晩、夜中までかかって、わずかにもってきた耐圧発泡スチロールを削り、データロガーを1本だけ浮かせる浮力体を、中国の学生と一緒につくった。

 事前に全く想定していなかった「勝ち目のないたたかい」が始まった。

光明

 三回目の落水である。日本の水族館なら、とっくの昔に、もうやめて帰ってくれと言われそうな実験だ。プールから水を抜く落水だけでも動物にストレスを与えるのに、3日連続で吸盤装着をするなんて、売り物であるイルカを飼育している水族館での実験計画書には書けない。

 中国側も真剣だった。今年はなんとしても成功させたい。このプロジェクトの中間評価が来年に迫っていることも、承知している。三回目の装着試験は、Wang Dingからの提案だった。

 昨日まで使用してすぐに外れた黄色の浮力体が2つ。その半分を切り落としたものを1つ、昨晩つくったデータロガー1本つきの白い浮力体を2つ用意した(図4)。接着剤はつけていない。効果がないことが、前日の実験で明らかになったからだ。これまでと同様の手順で、スナメリに一つずつつけて放す。これがおそらく飼育下での最後の装着実験である。案の定、日本から持ってきた黄色の浮力体は、まもなく外れた。少しずつ水位が上がっていくプールを眺めながら、次に見たのは、半分に切った浮力体が外れるところだった。昨年の最長記録である4時間を経過しても、2本の白い浮力体だけはついていた。なんとか明日の朝までもってくれと思いながら、暗くなって宿舎に戻った。外は土砂降りの雨で� ��強い風も吹き始めていた。

 夜9時半。神経が高ぶって眠りの浅かった私の部屋のドアを、ノックする音がした。飛び起きて開けると、Wang Dingだった。動物監視用の水銀灯に雨がかかって割れ、ガラスの破片がプールの底に落ちた。これから落水して掃除をする。データロガーは、白いやつがまだ1本ついている。おまえは寝てていい。こちらで対処する。とのことだった。いや、一緒に行くと言ってすぐにカッパを着込み、Wang Dingの運転する車で現場に向かった。たしかに、白い浮力体はまだついていた。すでに、水生生物研究所のカワイルカ研究部のスタッフ一同が、プールのまわりに集結していた。落水完了を待つ間、みな胴長を着込んで、プールサイドの屋根のあるところで熱いインスタントコーヒーをすすっていた。プールは露天で、黒い羅紗布のようなもので天井を覆ってあるものの、雨はそれをやすやすとすり抜けて大粒の水滴をプールにしたたらせている。

 午後11時過ぎ、落水が完了し、一同プールの底に降りる。ガラスでスナメリがけがをしないように、まずつかまえた。最後までついていた白い浮力体が、捕獲作業中に外れた。手渡された浮力体の吸盤面には、皮膚がこびりついていた。接着剤をつけなくとも、吸盤だけで十分に体に密着できるのだ。吸盤面の皮膚がはがれても、内部の負圧によって、吸盤そのものは動物の体にくっついているのだ。小さくて軽いほうが長い時間ついていることは明白だ。一筋の光明を見たようだった。

 雨脚はますます強くなってきた。プールの底から上を見上げると、天井から降り注ぐ無数の大粒の水滴が、ライトにあたって光のシャワーのようだった。時折強い風が吹くと、花火ような光の粒が舞い落ちた。

 注水開始。Wang Dingが、2つの白い浮力体を指して、これをもう一度付けてみようという。その執念と配慮に感謝しつつ、装着を行った。降り注ぐ雨のせいで、皮膚の乾燥が不十分であったのか、放流時に浮力体が人に触れたためか、ひとつはあっという間に外れた。不安が増す。もう一つは、すぐには外れなかった。午前0時。すべての作業が終わり、水位が徐々に増してきた。

 一つだけ残った白い浮力体は、翌朝までついていた。半自然保護区での本実験4日前であった。

不足

 デザインは固まった。データロガー一本を浮上させるための、コバンザメのような細長い浮力体をつくらなければならない。しかし、高耐圧発泡スチロールはごくわずかしかなく、それを防水コーティングする材料も、持ち合わせていなかった。こんな事態は全く考えていなかったからだ。

 日本から送ってもらう時間はない。しかも、あいにく週末にかかっている。そこで思い出したのは、昨年の予備実験で使ったまま中国に置きっぱなしにした浮力体だ。リストを確認し、荷物をひっくり返すと、記載された数の浮力体が出てきた。こいつは、ウレタンで表面処理もしてある。こんなところで、役に立つとは思ってもみなかった。

 コバンザメのように、細長くて吸盤位置を前方にするには、この浮力体を切ったり削ったりしなければならない。すると、その部分はウレタンの表皮が取り除かれ、高耐圧発泡スチロールが露出する。メーカーの担当者は、この発泡スチロールは「独立気泡」であるから、お風呂のスポンジのように水は吸わないと言っていたが、ほんの10%の吸水で沈下の恐れがある。5年前の遺失を繰り返したくはない。表面の防水加工をしたほうが安全だ。幸い、何種類かのエポキシ接着剤を持ってきていた。これを薄く表面に塗ることにした。

 浮力体ができると、今度は吸盤との接合である。ステンレスの薄い板を浮力体に埋め込み、穴を通して吸盤にボルト締めするのがこれまでのやり方だ。しかし、そんな金属板は、もちろん持っていない。中国の技術者のおじさんに相談すると、よし俺が同じ物をつくってやるといって、翌朝までに20本以上用意してくれた。まだまだ手作業での加工技術が生きている国である。これを浮力体に載せ、上から発泡スチロールの小片を重ねてエポキシで固めた。これで、金属板と浮力体の接合は終了である。最後に、吸盤にネジ止めすればよい。ところが、さきのおじさんが持ってきてくれたネジを吸盤に差し込んで回すと、数回転で止まってしまう。吸盤はカナダ製である。中に仕込まれているのは雌のインチピッ� ��のナットである。中国のネジはミリメートルピッチである。ネジ山のピッチが合わないのだ。またしてもおじさんに相談すると、ねじ切り道具を持ってきた。これもインチピッチではないのだが、なぜかそれで吸盤に埋め込まれているナットを切り直すと、中国のネジが収まった。内部でネジ山がどのようになっているのかはわからないが、とにかく、24時間もってくれればよい。ねじが外れても、データロガーは浮力体側についている。吸盤は沈んでも、残りは浮いて回収できるのだ。

 その日あたりが暗くなってから、Wang Dingが、浮力体製作部隊の学生と私を連れだし、近くのレストランで夕食をごちそうしてくれた。久しぶりに、食事をおいしいと感じた。本実験2日前の夜に、15個の浮力体が完成した。

捕獲

 中国は来るたびに、ものすごいスピードで変わっているのがわかる。たとえば、武漢から半自然保護区へ向かう道のりも、はじめてきたときには6時間かかった。武漢市内で揚子江に唯一かかる大渋滞している橋を、交通ルールなど無視しているようにしか私には見えない中国式運転技術を駆使して通り抜け、高速道路をすぐに降りて一般道をのろのろと走り、最後はどろんこ道をジョギングのような速さで進んで目的地にたどり着いた。今年は、揚子江にかけられた市内で3番目の橋をすいすいと渡り、延伸された高速道路で道半ばまで行き、その後も舗装道路をぶっとばして、中国式運転技術はあいかわらずであったが、4時間弱でついてしまった。すばらしい実験フィールドがこんなに近くなったのはうれし� ��ことである。


 スナメリの捕獲というのはとても難しい。基本的には追い込んで、網で囲んでつかまえるのだが、このとき網にからまる危険が伴うことは、鯨類の捕獲作業経験のある人なら容易に想像できる事態だ。半自然保護区の漁師たちは、スナメリの捕獲経験が豊富である。網を絞る最終段階では、人海戦術を使う。網のまわりに人を張り巡らし、絡んだらすぐに飛び込んでつかまえる準備ができている(図5)。以前、その捕獲の様子をつぶさに見ることができたが、非常に用意周到で、急がず、大きな危険は感じられなかった。私が参加したこれまでの実験では、全頭が無事に捕獲されている。遠浅で、波や流れがないなどの好条件もあるが、スナメリの捕獲に関しては、日本の漁師より中国の漁師のほうが上手なので� ��ないかと思う。

 さて、私はというと、今年は捕獲作業には加わらなかった。データロガーと浮力体を接合したり、吸盤の洗浄や、撮影を行ったりと準備に忙しかったからであるが、一番の大きな理由は気持ちを落ち着かせるためである。捕獲作業は、見ているだけでも手に汗握る。ましてや、移送中の採血でスナメリを保定したり、皮膚乾燥防止のための水かけなどを手伝っていると。「あばれちゃだめだ、すぐに終わるから」とか「あと少しで、生け簀に放してやるからな」とか、世話をしながらもいろいろ話しかけてしまう。イルカの生物音響を専門としているので、スナメリが理解できるはずもないことは十分理解しているが、これは気持ちの問題である。我々の合い言葉は「人間と動物の安全が第一」だ。捕獲と移送には� ��様々な気を遣う。しかし、今回の私は、装着の一点に、すべての気を遣う必要があった。動物の扱いは、全面的に中国側に任せることにした。

 この日は9頭ものスナメリを捕獲することができた。スナメリは、いったん湖の脇の入り江に設置した小さな生け簀に確保することになっていた。本番の放流は明日からだ。この機会を利用して、最後の装着試験を行うことにした。本番と全く同じようにデータロガーと浮力体を組み上げ、動作させ、入り江に放す直前に本番と同じ手順で装着するのだ。9頭に含まれていた母子と思われるペアには、このときはデータロガーをつけなかったので、残りの7頭の両脇に、計14本のデータロガーを装着し、入り江に解き放った。

疑問

 放流2分後、一つのデータロガーが外れた。しかし、これは予想していた。吸盤の縁からの水漏れをよりしっかり防ぐため、シール剤をワセリンから粘りの強い高耐圧シリコングリスに変えていた。これまでに述べなかったが、シール剤の選択も、別途、現場で試験をしており、シリコングリスに軍配が上がっていた。そこで、入り江での実験から、吸盤の縁に塗るシール剤は全面的にシリコングリスに変えたのだが、一つだけ、多量にグリスを塗ったものを用意した。もしや、皮膚表面の凸凹が、それで埋められて、漏水が減るのではないかと期待したからだ。結果は裏目に出た、グリスが潤滑剤の役目をして、滑ってしまうのだ。同じような経験を、ワセリンでもしたことがあったので、予想はしていた事態だ� ��た。外れたデータロガーを確認すると、まさに一つだけ用意したグリス過多のものであり、驚くことではなかった。

 放流後45分経った。残りのデータロガーは、ひとつも外れていない。武漢のプールでの事前実験をもとに、新たに手作りした浮力体はうまくくっついているように見えた。スナメリの動きは、とくに装着直後の一時間が激しい。それを越えると、遊泳速度は、通常に戻る。なんとか結果が出せそうな気がしてきた。

 新しくつくった長細い浮力体が、ひょこんと水中から飛び出してきたのは、その直後だ。2分後にもうひとつ、その4分後にも一つ。最後の個体を入り江に放流してから約1時間の間に、結局5個のデータロガーが外れてしまった(図6)。

 わからなかった。武漢の水槽では、しっかりついていたのに、なぜ、こんなに短い時間で外れてしまうんだろう。たった1時間では、データにならない。日本でたくさんの事前試験をして、ほとんどの時間をこの実験の準備に費やし、武漢でも多くの人たちとイルカの協力で、ここまでこぎつけたのに、いままでの努力はなんだったのだろう。このまま、また失敗するのだろうか。原因がわからず、悶々とまた一年間手探りで準備をすることになるのか。そもそも多額の予算をいただいておきながら失敗して、さらに研究を続けることが許されるのか。頑張って、頑張って、頑張って、こんなに苦しい思いをしてもダメなら、研究なんてやめちゃおうか。

 追いつめられるとは、こういうことかと思った。無念さに押しつぶされそうだった。

 入り江にぷかぷかと浮いていたデータロガーは、なかなか回収できなかった。船を入れてイルカを驚かせるわけにもいかず、ほとんど無風状態で、ゆっくりと、入り江のどこかに流れ着くのを待たなければならなかった。本実験は、明日に迫っていた。

賭け

 くやしい気持ちがいっぱいつまった浮力体を、ぽつりぽつりと拾うたびに、妙なことが気になりはじめた。軽くて小さい行動計測用のデータロガーばかりなのだ。重くて大きな新設計の音響計測用のデータロガーが一つもない。私は、データロガーは小さければ小さいほど良く、軽いほど装着時間は長くなるはずだと信じ込んでいた。他の誰もが、そう考えた。外れたデータロガーたちは、その考えが間違っていることを示していた。

 5つ全てが、軽くて小さいロガーなのだ、統計的にはぎりぎりで有意差がある。ならば、なにか原因があるはずだ。よく考えてみよう。

 軽いということは、浮き上がる力が強いということだ。それは約30g。たいしたことはないと思っていた。データロガーは、回収用の発信器のアンテナを空気中に出すために、しっぽを上にして浮くようにつくってある。軽くて小さいデータロガーの場合、全体の重心が吸盤付近に集中するため、この30gの浮力の大部分は、しっぽを持ち上げるトルクになる。だからこそ、これらの浮力体は、入り江ではひょこんとしっぽから飛び出してきたではないか。設計通りなのだ。でも、もしこのトルクが浮力体全体を回転させる力となって、吸盤をねじあげ、これが潜水のたびに繰り返されたとすると、どうなるだろうか。吸盤は、引っ張り力には強いが、テコのように持ち上げられたり、ねじられたりすると、漏� ��しやすくなるのではないか。

 5年前に製作した浮力体はどうだったろう。浮力は、今年のものより若干小さめだった。だからこそ、吸水または収縮して、最後の浮力を失い、回収できなかったのだ。あのときのデータロガーは、今年のものより重くて長く、重心が少し上にあった。すなわち、回転力が小さかった。だから、浮上姿勢は、今年のものより斜めではなかったか。

 5年前に失い、いまもこの湖のどこかに沈んでいるはずのデータロガーの二の舞になることをおそれて、今年はほんの少しだけ浮力を増した。回収をさらに確実にするために、アンテナの浮上姿勢を垂直に近くした。データロガーが小さくなった分、重心が前に移動した。その結果、回転力が増し、吸盤をねじ上げる力が加わって、吸盤とイルカの隙間に漏水を招き、早く脱落したのではないか(図7)。

 これまでにも、さまざまな脱落原因を考えてきた。しかし、その対策は無意味であったことのほうが多い。実際、自分の皮膚で事前実験した接着剤など、なんの役にもたたなかった。私が思いついた浮力による回転力という脱落原因も、浅はかで的はずれなのかもしれない。流体抵抗試験も、接着剤も、動物への装着位置も、楽観的な予想がすべて裏切られたように、思い違いである可能性は十分にあるのだ。

 さらにもし、私の推測した脱落原因が正しかったとすると、こんどは別の困難が待ち受けている。回転力を抑えるためには、浮力体のしっぽの部分を削るしかない。浮力そのものを減らすわけだから、5年前のように沈んでしまうかもしれない。こちらにきてから手作りした浮力体は、予備実験の使い回しだ。吸水試験や収縮試験など行っていない。ウレタン防水をはがしたエポキシの防水性能も、評価できていない。もし沈めば、データのすべてとデータロガーそのものを失うことになる。浮力体を削るということは、全てを失う可能性を増すことでもある。

 その夜、私は行動用計測ロガーの浮力体のしっぽを削っていた。高耐圧発泡スチロールが露出したところは、エポキシで表面を覆い、吸水防止に努めた。バケツにくんだ水で、浮力が15〜20ccあることを確認した。これ以上は、削れなかった。


本番

 2003年10月16日。中国は、有人宇宙飛行を成功させた。人間を宇宙に送る技術を手にした、世界で三番目の国になった。我々は、いや少なくとも私は、そんなニュースも知らず、別名「白鳥の湖」と呼ばれる半自然保護区に、この日4頭のスナメリを放流した(図8)。

 いきなり9頭すべてを放すことはしなかった。様子を見てみたいということもあったが、浮力体の数そのものが足りなかったのだ。製作したのは15個。9頭に必要な浮力体は左右で18個である。音響データロガーの数も足りなかった。夜中から未明にかけて、ぽつぽつと脱落し始めた重くて大きい音響データロガーには、入り江でのデータが入っていたので、まずダウンロードして、次の記録条件を設定し直さなければいけない。しかも、音響データロガーの一つは、ついさきほど回収されたばかりだ。このロガーは、入り江でほぼ24時間、動物についていたことになる。データを吸い出す暇はなかった。

 この日最後の個体の放流準備のため、装着すべき行動計測用と音響計測用の2つのデータロガーから確認用のラベルをはがして、目の前に置いた。このとき、さきほど回収されたばかりの音響データロガーが、2つのデータロガーの間に置かれていた。

 目を離し、皮膚乾燥用のペーパータオルを胸のポケットにいれる。動物はすでに運ばれてきている。行動データロガーを手に取り、スナメリの左側に装着する。音響データロガーを確認し、右側に装着する。4名がスナメリをゆっくり抱きかかえ、静かに湖に放流する。私は、放流時刻を秒単位でフィールドノートに記入する。本日の作業終了である。片づけようと思って、後ろを振り返ると、いま取り付けたはずの、行動計測用データロガーが、目の前にあるではないか(図9)。

 うそだろ、と思った。一番貴重な入り江で24時間装着できた音響データロガーを、間違っていまの個体にとりつけてしまったのだ。しかも、その個体は行動用データロガーを背負っていない。ということは、データの半分を既に失っているということだ。さらに、間違ってとりつけてしまったロガーは、明日の放流に使うはずだった。ただでさえ、少ない音響データロガーをさらに減らしてしまった。追い打ちをかけたのは、間違ってつけたデータロガーの電波発信器がダミーで、なにも発信していないことだ。全長21kmの湖のどこかに、なんの手がかりもなく浮き上がった、小さな小さなデータロガーを、どうやって発見できるというのだ。

 こんなにいろいろな努力をして、みなが頑張って、もしかしたらうまくいくかもしれないのに、自分の単純なミスでデータを失った。くやしくて、放流場所の水辺で地団駄を踏んだ。自分の頭をばんばん叩いた。中国の友人たちは、Tom(私のニックネーム)と声をかけてくれるが、返事ができなかった。

 フィールドステーションの部屋に戻ったが、頭は冷えない。追ってあらわれたWang Dingに、「さっきはすまない。気持ちを楽にしたかった」と取り乱した詫びを言うのが精一杯だった。彼は、「そんなに自分を責めるな、実験にはこういうことはつきものだ。実験を楽しめよ。記録時間が短くたって、これまでにない新しいデータがとれるはずじゃないか・・・。つまり俺が言いたいのは・・・、おまえを救援したいってことだ」と慰める。「いまは救援はいらない。最後の個体を放流するまでは、リラックスできない」と答えた。

 どのくらい経ったか、みな察して、私を一人にしておいてくれた。フィールドステーションの屋上には、イルカにつけた電波発信器のモニタのため、5エレメント2スタックの八木アンテナが、三日月湖の上流側と下流側に向けて2基設置してあった。これを使って、さっきつけたロガーが外れていないかどうか見てみよう。屋上直下の3階に上がり、みなが集まる大部屋をのぞくと、ちょうどリンゴをむき終わったところに出くわした。だれかが食べるはずだったそのリンゴは私に差し出され、それをむしゃりと食べて「お、うまい」と日本語で言うと、みなの顔に笑顔が浮かんだ。こいつはまだ大丈夫だと思ってくれたのかもしれない。

 電波受信器はときどき沈黙した。その間は、動物にくっついたまま水中に没しているのだ。外れて浮かんだときに聞こえる連続的なピッピッピッという受信音は聞こえなかった。まだ、どれも脱落していないらしい。喉を通過するリンゴがうまかった。

 

逆転

 翌朝の回収作業は全面的に中国側にまかせた。私は、今日放流する2頭のデータロガーの準備を行っていた。

 昼前、Wang Dingが意気揚々とやってきた。

「回収できたぞ」

「どれが?」

「昨日おまえが間違ってつけたやつだ」

「えっ。どうやって?」

 彼が言うには、電波を頼りに別のデータロガーを回収したら、ほんの10メートル離れたところに、それが浮かんでいたそうだ。

 これぞまさに神様のお慈悲、とは思わなかった。回転力を見逃したために、5年前の装着時間が奇跡的に長いと感じたように、これも何かの理由があるのかもしれない。イルカは、群れ行動をしているときに、お互いに体をこすり合うことがある。そのときたまたまデータロガー同士がふれあったのかもしれない。幸いこのデータロガーには24時間の入り江でのデータに加え、野外で約16時間もの音響データが入っていた。

  放流は、17日、18日と着々とすすみ、全ての個体が湖に戻った。明けて10月19日。あとは回収するだけだ。初日に放流した個体の音響・行動両方のデータロガーや、母子ペアのデータロガーなど、いずれも重要でかつ長時間記録が期待されるものが、まだ回収されていなかった。Wang Dingは母子ペアのロガーを探しに下流に、私は最長時間が期待されるロガーを探しに上流に向かった。それぞれ、かすかに受信できる電波の方位をあらかじめフィールドステーションから確認しておいたのだ。

 三日月湖の上流の端まで片道約10km、べた凪の鏡のような水面を船は進んだ。上流側に近づくにつれ、小さなホイップアンテナでも受信できるほどはっきりした信号が聞こえるようになった。浮いていることはほぼ確実だ。しかし、そこはとても浅く、船が入れなかった。受信器を持って、岸を歩こうと思っていた矢先、船頭がそのたくましい腕で手こぎボートを繰り出していった。「受信器をもっていかなきゃだめだ」という私の英語が中国語に訳される前に、彼はさっさと岸に向かってしまった。仕方なく見守っていると、彼はボートを岸につけ、水際を歩き始めた。いくら電波が強いと言っても数百mくらいの捜索範囲はある。そう簡単には見つからない。と、しばし見物を決め込んでいたら、彼が大き� ��片手を上げた。そこには、アンテナがついた小さな物体が掴まれていた。

 このデータロガーには、36時間の音響記録が入っていた。5年前とほぼ同じ長さであった。この日、別の船により35時間動物についていたデータロガーも回収された(図10)。Wang Dingは、母子ペアについていたデータロガーを含む、残りすべてを午前中に回収してきた。失ったデータロガーは、一つもなかった。

 スナメリの体に装置を吸盤でくっつける、という極めて単純そうに見える問題に、丸一年翻弄された。浮力による回転力の確認を怠ったことが、その困難の主な原因であると考えられた。気づいてみれば単純なことだが、それが事前に予想できなかった。神様は、私が確認を怠ったところを、正確に突いてくるものだと思った。逆に言えば、再現性の確認をしっかり行ったところには、神様はいたずらをしないのだ。もう一つの教訓は、どんな問題でも、いっしょうけんめいやれば解決できることがあるということだ。この実験のあと、自分は少しだけ、困難に強くなったと思う。

 この調査は、生物系特定産業技術研究支援センター「新技術・新分野創出のための基礎研究推進事業」の援助により実施された。



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